トルコ留学の意味を再定義してみる

昨日初めて僕以外のexchange studentに遭遇。オーストラリア人のAysuとドイツから来たStefanの二人。二人共とてもテンションが高く(薬やってるのか?ってくらい)、「日本からきました。」と言っただけで"Oh, coool!"って、褒められてるのか馬鹿にされているのか良くわからないが、多分プラスの意味で捉えてくれているんだと思う。ちょっと恥ずかしい。
AysuはロンドンのLSEから、StefanはHarvardを出た後、CEMS(※追記:CEMSという大学はありません。私の勘違い。2011-2-9の記事で補完)に入学したツワモノで、彼らとやり合うのかと思うと身が引き締まる思いだ。こういった、世界中のよくわけのわからない人たち(褒めてます)に揉まれ、多様性と日本語が通じない英語の環境下でもがきながら授業で成果を出す、というのが本来の目的。
しかし、ここ数日街中をぶらぶらしていて思ったことはトルコが文化的にも物質的にもとても「豊か」だということ。イスタンブールローマ帝国(B.C27-A.C476)から続く歴史のある町だし、昨日行ったショッピングモールのKanyonなんてスタバ、ボディーショップ、ソニーなどが入っていて日本とそれほど変わらない値段で商品が売られている。一方で地元のマーケットに行けば500円もあればおなか一杯美味しいトルコ料理に舌鼓が打てる。
ここで、トルコの経済事情について記述したい(wikipediaより)。2009年におけるドル基準でのトルコのGDP世界で17位。1923年から1983年までは国家が統制する管理経済だったが、それ以降は市場主義経済に移行。2002年から2007年までの平均GDP成長率は7.4%。2007年の輸出額は1600億ドルで、57%がEU向け。また、2007年の農業生産のGDP構成比率は10%にも関わらず、就労人口は27%である。つまり安い労働人口を抱えているということだ。
さて、「経済大国(圏)を近くに抱え」「労働力が安く」「近年急激に経済成長していてこれからもしばらくは成長が期待される」という状況の国に留学することはどのような意味を持つのだろうか。ここで、EUとトルコの関係って、日本と中国の関係に近いのではないかという考えが浮かぶ。日本の好奇心の高い若者が今中国で何が起こっているのか見に行くように、EU圏の若者、例えばAsyuやStefanがトルコに来るのは同じ理由なのではないか?
そう仮定すると、トルコ留学にもう一つの意味が定義されるように思う。つまり、「経済成長著しい国で、そのエネルギーと雰囲気を体感する」ということだ。僕も含めた僕より下の世代は日本における経済成長を実感したことがない世代だ。僕が10才のときに日本のバブルは崩壊し、物心が付いたときには不況と低成長が当たり前の感覚として育ってきた世代だと思う。ちょっとこういった観点からも留学を楽しもうと思った次第でした。