かしこぶってた僕へ

twitterを眺めていたら以下の記事を発見。

今日の四方山:「それでも日本の就活を勝ち抜く理由」
http://d.hatena.ne.jp/illusion566/20101125

以下の一文にぐっとくる。
「何もガラパゴス就活がいかにクソゲーだろうと、今すぐこのクソゲーを降りる必要はないのだ。」

就職活動をしていた当時、僕は日本の就職活動の形態を馬鹿にしていて、だって筆記試験対策はただの作業になるし、コミュニケーション能力ってなに?おいしいの?みたいな感じだった。どちらかと言うと、欧米型の自分の専門技術を武器に会社とネゴするスタイルが合理的だと思っていた。
そんな態度なので選考途中で落ちても何も感じないし、(だって自分は「こんのな意味ない」と思っているので)まあ何とかなるだろと思っていたら運よく何とかなったのだけど、今から思うと、斜に構えて、ただベストを尽くしてないだけだ。

それに対して、「今日の四方山」の方の認識のほうがよっぽど建設的だし、現実と闘っている。そう、就職活動が、(今日の四方山の言葉を借りれば)「クソゲー」だなんてことは皆解ってる。「解っている」けど変えられるのは自分サイドだけだ。じゃあ、やりたいことのために、どうやってクソゲーをクリアするのか?という事を、知恵を使って、体を動かして、苦労しようよ、と彼は提案しているわけだ(ちょっと僕の個人的な思い込みも入ってます)。

今後生きていく中で、システムが自分にとって都合の良い設計になっている、なんてことはPCの中だけの話だ。日本で育つとどうしても「ルールに従うのが美徳」という認識を持つが、翻って世界の状況を見てみると「自分のためにどのようにルールを解釈するか/変えていくか」というスタンスが一般的であるように感じる。

例えば僕はISO、CPATOEICを世界3大サギだと思っていて、こいつらは無から有を作り出し小金を絞り取っている。彼らはルールを作り出した。

今、来年春の留学を考えているのだけど春学期に留学した瞬間に留年が確定する、というのが経営管理大学院のルールになっています。

ちょっと、がんばってみる。